脳ドック担当時代の話です。
日常生活の中でチョッとした物忘れや置き忘れが気になって、認知症の前触れではないかと感じて脳ドックを受ける方が多数いらっしゃいました。脳のMRIを撮って安心したいという方が多かったです。
しかし、知的機能を評価するのは画像だけではほぼ無理でしたので、20分位で出来る簡単な質問形式の検査を併用することにしました。検査の時間にチャンと来院している人に、あまりに簡単な質問(年齢とか月日や場所など)は失礼なのでいろいろな工夫をしましたが、1000人位の人に受けてもらって統計解析をしました。日本神経心理学会で発表して簡単な論文にしました。 詳細は割愛しますが、以下のような結果が出ました。
注意力、集中力、弁別能力、挿話的記憶(話の筋を理解する)という言葉で纏めてみましたが、この関係が記憶に関与するものと考えました。海馬とかという脳の記憶回路の話とは異なる見方です。
注意力が無いと集中できず、集中できないと物事を整理してみることが出来ず、その為に話の筋が記憶の中に入りきれない感じがしました。年齢的変化では、80歳を超えると顕著に注意を持続することが難しくなるようでした。
注意とは、様々な外部からの情報(音・光・大気の温度や湿度など)や体の内部からの情報(腰痛などの痛み情報・しびれ・動悸など)の取捨選択のことを示します。つまり、自分が必要とする情報に集中するには、その他の情報を意識から外すことが必要です。「耳を澄ます。」「眼を瞠る。」などがそれにあたります。
注意が持続出来ない状況を注意散漫という言葉で表現します。「気が散る。」「挙動不審」などです。また、あることに心を奪われて周囲への関心が無くなり、必要と思う情報に対応できず集中どころではない状態「心ここにあらず。」ということにもなります。
体力の無い時の凡ミスや怪我も同様に説明できます。日常性の喪失も注意障害の原因になります。「日常」とは、昨日も今日も明日も同様の生活が出来ると言う認識に立たないと保障されません。
今の東北地方の天災・人災による大混乱の中では、日常性が保障されていません。日常性の喪失による生活の混乱に対して必要なことは、明日を信ずる事だと思います。
視野にあるのが、日本の将来では無さそうな政治家など確認不足の不注意な言動で日常性が破壊されることが少なくなるよう祈る次第です。
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