REHAB TSUCHIDA REHABILITATION CLINIC

コラム(院長の雑学)

NO.6 パラリンピックとAKA-H

 脳卒中や脊髄損傷になった方々の日常生活への支援体制は昨今日本中でできるようになりました。しかし、人生の質(QOL=quality of life)の面では日本は欧米より遅れているように思います。特に社会復帰されても外出の多様性、スポーツ参加の簡便性が最近改善されてきたようにも見えますが、まだまだのような気がします。

 今回は、1994年にノルウェー・リレハンメルでのパラリンピック
に随行医師として帯同を許された時の話です。

 1986年位から外来通院中の脳卒中の方々と毎年二泊三日のスキーツアーをしていました。ボランティアの人に助けられ、1997年から参加していませんが今も続いています。杖をついて装具を付けて歩ければ、三シーズンも参加していただければ、初級ゲレンデを一人で降りてこれるようになるし、リフトの一人乗りも心配なくできるようになります。

そこまではボランティア二人から三人で介助をするわけですが、ともかくその活動を時の国立リハビリテーションセンター総長の初山先生の目にとまり、帯同を許可されたわけです。


 オリンピック会場をそのまま使用しての開催でした。オーモット選手が転倒した斜面なんかは、斜度30度以上の厚さ1mはあろうかと思われる氷の斜面を滑降(落下に近い?)していくので転倒というより、滑落に近いものですが、そこを時速120Kmで滑降していくそうです。

視覚障害者の方でも、チェアスキーでも115Km、片足スキーでも110Km以上で降りなければ優勝できないようでした。世界にはすごい人もいるもので、ワールドカップスキーヤーの人が転倒して脊髄損傷となって参加していて、また転倒して頚髄損傷になってもクラスを変更して参加している方もいました。

視覚障害の方の先導者も現役のワールドスキー参加選手で、腰にスピーカーを付けて大声でターンのタイミングを教えていて、その両者の間隔が一定のまま滑降していました。選手村での色々なスタッフのさり気ない選手への気遣いも、付け刃ではなく普段から障害を持った人との生活をしているなあと感じさせる余裕がありました。

 さて、日本選手ですが、チェアスキーの選手で試合直前の練習中に転倒して肩を痛めました。翌日アウトリガー(ストックの先に小スキーを取り付けた形のもの)を操作できなくて、思うように滑れなくなってしまい途方に暮れていました。

医療班長の許可を得て、AKA-博田法を施行しました。おへそから下の感覚がなく全く両下肢が動かない人の肩が、腰の仙腸関節を治療しただけで腕を上げることができて、以降二戦して銀メダルを二個獲得されました。

従来の神経学では説明できない効果でして、今になって説明できるようになりましたが、とっても不思議な思いをしました。

 

→ 「コラム一覧」へ

 
当院について

平成29年6月の休診日

4日、7日

11日、18日

21日、25日

第1.3.5水曜日は終日休診です

平成29年7月の休診日

2日、5日、9日

12日、16日、17日(祝)

19日、23日、26日、30日

7月より毎週水曜日は終日休診です

当院へのアクセス

MAP

所在地

東京都目黒区下目黒6丁目14-17

診療時間

平日・土曜日
午前 9:00〜12:30
午後 2:00〜6:00
※日曜・祝祭日休診
※診療時間は目安です。

クリニックの詳細を見る

▲pagetop